根津山の日記

日々の生活をまとめます。世田谷代田、理科教育、戦前の教育

【春の味覚を楽しみたい】 たけのことわらびを下ごしらえ

春の味覚 わらび
今朝から、筍と蕨を下ごしらえしています。
筍は米糠がついていて、灰汁抜きも初めて知りました。
 
 筍の下ごしらえ
 筍は先の部分を5センチほど切る。
 硬い皮をはいで、表面に包丁の切れ目を深さ1、2センチで入れる。
 大きな鍋に水をたっぷり入れてお湯を沸かす
 米糠を鍋に入れて、唐辛子を一つ入れる。
 沸騰して1時間
 火を止めて、冷めるのを待つ
 皮もやわらかく、灰汁の味、においもない
 
筍がとても大きくて、何度か分けなと食べきれない。さきほど、冷蔵庫に入れました。

米糠を使って灰汁抜き 半日かかりますね。楽しい
 わらび
  わらびは根の方の硬いところを数センチとり、
  大きな鍋で煮る。
  重曹を少し入れる。
  沸騰したらひをとめて、半日おく。
  何度か水であらう。
 
 
蕨の似た汁は赤くなるのですね。重曹アルカリ性で色が赤くなるのかもしれません。
とても新鮮な気分、驚きでした。
 

わらびの下ごしらえがすみました
 
明日、たけのこご飯と煮物、蕨は薄味にたきますかね。おひたしがよいとアドバイスをもらいました。自分で作ると、味が何倍にも美味しく感じるのが不思議です。おそらくいろいろ考えているからですか。
 
 

できた、たけのこです 大きいので炊き込みご飯と煮物にしようかと思っています。

勝田茅生 「それでも人生に意味がある。」 第1回 NHKこころの時代

「あ、まだ、朝のニュースはやっていないんだ」

たまたま目覚めが早くなってしまった。起きてすぐにぼーっとしながらテレビをつけて、ニュースでも見るはずだったが、やっていない。「そういえば土曜日だ」ということにそこで気づき、「それなら、『俳句入門』でも・・・」とEテレに変えてみた。この日は、トイレの後に寄ったので、時計も見なかったから気づかなかったが、朝、5時過ぎだと思う。前日は運動して疲れて、いつも起きない時間に起きていたことになる。中途半端な気分で、何も気にせずテレビをつけて腰掛けていた。1、2分だろうか、はたと気づき「俳句入門」かなとテレビを見たら、始まる1時間以上前で、番組が違っていた。「そうかちょっと起きるのが早すぎたか」とやっと気づき、「俳句」まで時間があると判断できた。頭が動き状況がわかってきて、改めて見ると、番組は土曜のいちばん早朝にある「こころの時代」だった。Eテレの早朝という、ほとんどだれも見ない宗教、人生をテーマにした番組で、ステレオタイプに連想して「お坊さんの説教かな、なんだ寝ようか」と頭の髪をかいた。ふと気づくとタイトルが「ヴィクトール フランクル」の「それでも人生に意味がある」だった。そのとき何か感じて「あらー」とテレビの前で口を開けながら、立ち尽くしてしまった。「何でこんな時間に起きたんだろう」と思った。それは起きたことに後悔したわけではなく、「この時間にわざわざだれかが起こしてくれたのかもしれない」と思わせるくらいの、まさに奇遇だった。改めて、ソファーに座り直し、フランクルの話をこんな早朝に聴くことになった。

 ヴィクトール フランクルは著名な戦前のオーストリア、ウイーンの精神分析医である。第二次大戦のとき、ナチスの捕虜収容所の体験を描いた「夜と霧」が戦後間もない頃、日本に紹介されて、多くの人に知られることになった。私はずっとあと、教員になる前20代後半に、大学の先生の講義で紹介されて知ることになった。漠然としていたが、興味が湧いてきて「夜と霧」を読んでみた。

 さて、ヴィクトール フランクルの考えは「人間が存在することの意味への意志を重視し、心理療法に活かすという、実存分析やロゴセラピーと称される独自の理論を展開する。」(みすず書房HP)とあり、内容はとてもいいのだが、なかなか理論は難しい。でも、30歳手前ころ心理学に傾倒して、粘り強く続いて「愛と死」「それでも人生にイエスと言おう」を手に取ってみた。今では、細かいことはほとんど覚えていないが、番組を見ることで、あの30年前の自分を思い出すことになった。そう、「どんな苦しい状況に置かれても、死ぬ間際の人であろうとも、生きることには意味がある」「それでも、人生に[Ja=yes]と言おう」「人は人生から問われている存在」をかみしめることもあった。

この番組は月に1度、6回シリーズで9月まで続く。第1回はフランクルの両親、生まれ、幼少期から青年期、フロイトとの出会いと交流やアドラーとの交流も紹介してくれた。解説は、セラピストの勝田茅生(かやお)さんという女性だった。上智大学を卒業後、ドイツに留学、博士を取得しフランクルの孫弟子にあたるそうだ。ドイツのセラピストの資格をとり、日本でもセラピスト協会を運営している。何よりも勝田さんの話はとてもわかりやすい。戦前のナチスホロコーストに連れて行かれる前までがわかりやすく紹介していた。フランクルの考えや体験について、本で読んだだだけではわからないことまで綴られていた。写真も紹介されていて、フランクルを知るにはとても良い番組だと思った。第2回は5月に放映されるが、「夜と霧」で紹介されたホロコースト時代である。放映は早朝なので見逃してしまいそうだ。スケジュールにめもしておきたい。

 

ウイーンの思い出も、20年以上前になる。

ステファン大聖堂 ウイーン

https://www.nhk.jp/p/ts/X83KJR6973/episode/te/46GLP751XK/

 

余談だが、俳句をやるわけではないが、興味があり、土曜日の朝についつい見てしまうのがNHK「俳句入門」である。

週末に副業、ボランティアで二拠点生活 ダブルロケーション

20240417

東京と長野の二拠点生活で仕事

長野県下伊那飯田市で仕事をはじめて、2年目。二拠点生活で仕事をしている。もともと東京で仕事をしているが、週末に飯田市に行き、科学アドバイザーとして、科学体験活動の運営に関わっている。収入は、交通費をいただくが、その他はない。どうしてもカツカツの生活になる。充実感はあるし、生活空間がちがうので、何事にも切り替えができる。ただ一点だけ、移動に時間がかかるのが思ったより難点である。週末いっぱい飯田で過ごし、月曜に戻る時もあるが、日曜日の夜に東京に戻るときは、高速の渋滞で、移動で「感じとして」疲れがたまる。

本業の仕事

本業の仕事は、教材の開発および営業資料、支援に関わる仕事。外回りはあまりなく、突発的な対応もない。できるだけ着々と与えられた仕事を進めていくことがミッション。2年前に、自分で仕事を管理し、無理なく週末に仕事をするため、さそわれた会社に転職し、働き方も契約社員に切り替えた。2年働いて、契約更改。先週まで週四日で勤務していたが、自分は何日働くとバランスが取れるかと考えて、4月から、週二日勤務を願い出た。会社の快く受け入れてくれて、今週からあたらしい契約社員に切り替わった。

 

二拠点生活は8年前から準備

8年前に飯田市民の方から誘いがあり、準備を始めた。妻の了解も得て、飯田の協力もあり、最初は軽く決断したが、だんだん本格的に拠点の確保が進み、とうとう家を建てて、週末はゆっくり過ごすようになった。贅沢はできないが、住み心地のいい家にできた。東京の家よりも広くて、平屋で住みやすい。断熱もしっかりして、光熱費の出費もずいぶん抑えられている。自分の時間を過ごすことが増えると期待している。

最近感じているのが、飯田が地方都市のモデルとしてとても興味がわくこと、人口こそ10万人程度なのだが、この地方では中核都市で、さまざまな生活の機能が集中している。コンパクトで生活しやすい街なのだ。そして、個人的には防災対応になっている。今後20年以内に大規模な地震が予想される。この東京で住んでいる限り、被災したときの対応を考えなくてはならない。2つの拠点をもつことは、家族との生活にとって、何よりの防災対策だと考えている。

 

知りたいこと、書きたいことに集中できる

週二日の契約社員になり、収入はだいぶ減る。雇用保険や健康保険の加入も個人事業主と同じになった。これからどうなるか、まず1年じっくり取り組んでみたい。この生活が始まったばかり。平日にしっかり休めるから、心に余裕が出てきた。この貴重な時間を埋めてしまっては本末転倒になりそう。すでにいろいろ連絡が入って、お金になるお仕事もあるが、時間がとられるものは断っている。

それでも、うれしいことは、個人的に請け負える、自分の興味に関係する、単発的なことに時間がかけられる。声をかけてもらい、個人の事業も増えそうである。捨てることで得ることがあるとはよく言ったものだ。

この少しの余裕の時間を大切にして、1年間を過ごしてみたいと思う。

 

20240414   #かざこし子どもの森

 

飯田の科学体験活動 今年度スタート

長野県では、飯田は科学体験活動が盛んで、市民ボランティアが小学校や公園で科学実験を子どもたちに体験させている。飯田市の予算、支援があり、活動が盛んだ。

 

今日は、新年度が始まって最初の活動に参加した。

ここは、かざこし子どもの森公園で、昔は工業高校だったところ。こんな傾斜地と思うようなところ。その中に、かつて武道場だった「おいで館」があり、毎週科学体験活動を提供している。

南側の斜面の遠景 春も盛り  かざこし子どもの森公園 飯田市

おもしろ科学工房のスタッフ以外に、高校や中学校のボランティアも参加す。飯田市信用金庫からも、若手のボランティアが派遣されて活動を支えています。

飛ぶ種のおもちゃ  ラワンの種のモデル きれいに飛ばすのは意外と難しい

今日は参加者が100人を超えた。車に乗って、キャンプ用品を抱えて来ている。この数日20℃を超える日差しでした。春の暖かさに大勢のお客さんがこの公園で過ごす様子が見られた。そんなことをしている大人と子供で、賑わっている合間に阿智寄った感じがします。

おいで館の活動



酒田の豪商本間家旧本宅と本間美術館 に行きました。 

酒田(山形県)を満喫する 

20240315(Fri) 

坂田駅前にバスで早朝に到着。荷物を「月のホテル」にあずけて、出かけました。まだ朝早くで、活動するにはだいぶ早いです。ホテルの近くにモーニングを提供する喫茶店があり、向かいました。小さな民宿の朝食を提供するお店でもあり、午前7時から営業していて、バスで到着する人には嬉しい対応です。

モーニング @木戸銭 酒田駅近く

土門拳記念館へ

この旅の目的は土門拳記念館訪問です。酒田駅から土門拳記念館まで歩いて1時間ちょっとありました。それで、酒田駅から自転車で行ける距離で、レンタサイクルを借りようと思ったら、レンタサイクルだけ冬季休業中でした。アイスバーンで事故が多いそうです。さすが、日本海側です。チャリでのんびり行けるかなと思いましたが、残念でした。

往きはタクシーに乗り、最上川を越えて、公園にある記念館に開館時間の9時ちょうどに着きました。美術館自体は広い公園の中に、RCの地肌を生かした平屋建て建築家谷口吉生の代表作。谷口は高名な建築家です。私の知っているのは、東京の葛西臨海水族園が同じく谷口の作品です。

土門拳記念館     建築:谷口吉生 1987年 芸術院賞受賞

 

館内は私一人で入場者はいません。ゆっくり1時間40分、土門拳をたっぷり鑑賞できました。

土門の持ち物、愛用品の展示や自筆原稿もありました。かつてはフィルムカメラだから、緊張感ある撮影だったろうと想像します。真剣勝負という感じでしょうか。

土門の作品で、予期していなかった作品がありました。写真集などで、土門の裸体は知らなかったのですが、この作品、戦前のもので艶かしくてとても印象に残りました。

土門の裸婦写真 艶かしい

昼食は酒田駅に戻ってとります。だいぶ歩きますが、散策で町を楽しもうと考え、記念館から駅まで復りは歩いて帰りました。

途中、山居倉庫跡、本間家旧本宅によりました。

豪商本間家旧本邸と本間美術館

土門拳記念館から駅までは歩いて、散歩することにしました。最上川を渡るまで、強風で橋がとても長く感じました。川の近くに山居場倉庫があり、かつて北前船で栄えた酒田の歴史を感じます。お土産やお酒も買えるなかなかの施設です。そこから、それほど遠くないところに本間家旧本宅があり、施設見学ができるようになっています。季節は春で、雛人形の展示されていました。(室内は写真撮影禁止)この本宅は、昭和の戦争が始まるまで本間家が使っていたのです。日本軍やGHQなどに接収され、手放すことになりました。しかし、今でも、酒田市内に本間家の子孫は住んでいるのです。江戸時代から、本間家は商人として成功し、すばらしい邸宅です。商人の資産番付で西の大関になっています。

最上川ちかく、山居倉庫 本間家の海運業の拠点だった

 

酒田市は江戸期から明治期まで海運業で栄えていました。その最高峰が本間家です。4代目本間光丘は商才にめぐまれ、財を蓄えていきます。

本間家(酒田市)旧宅

 

本間家 商いの番頭の事務机 @酒田市 (山形)

 

酒田駅から歩いて5分ほどで、本間美術館がある。かつての、本間家の別邸として、内外の賓客を迎えた場所でした。鳥海山を望む京風木造建築の「清遠閣」がなによりも素晴らしいです。

本間美術館 日本庭園が美しい、かつての別荘。昭和天皇が皇太子時代に寄られた

 

*前日、深夜バスで酒田に向かい、「月のホテル」前に7時過ぎに到着すると、とりあえず朝食にしました。

谷口吉生はこの作品で芸術院賞を1987年に受賞しています。東京では、「葛西臨海水族園」が谷口の作品で、デザインがよく感じを表しています。

 

”Oppenheimer ”を見に行きました。

 

映画「オッペンハイマー」を渋谷に見に来ました。久しぶりに奥さんと、映画館で映画をみました。ずいぶんと映画館にはきていません。すこしウキウキした気分です。

 

4月1日 月曜日、平日 午後2時半に開始です。それでも、若い人を中心にほぼ満席でした。

ころころ入れ替わる場面、配役、背景を説明しない・・・

映画.comから引用

”キャラクターの多さ、説明の少なさ、そしてキャストの豪華さも、本作の大きな混乱ポイントのひとつ。ゆえに事前にキャラクター情報を頭に入れておけば、脳のリソースをほかの細かいところに向けることができます。”

とあります。

終わったあとこのコメントを見て、なるほどと思いました。

クリストファ・ノーラン監督作品がはじめてで、場面の変化、時代の入れ替わりの多いのを知りませんでした。とくにわかりにくかったのが時間がどんどん入れ替わること。歳も歳なので、記憶力が落ちていて、場所や人物、何の会話なのかよくわからないまま、次のシーンに転換して、ついていけない感じでありました。やっぱり若い人にはいいのか。そこがいいと思う人が多いのでしょうか。このように監督の作品の特徴だとわかるので、作品が間違いがある、ミスがあるというものではないのです。なので、制作者の作戦として、もう一度見たいと思わせるのかもしれません。なんて思わせられました。

物理やオッペンハイマーを全く知らないで見て楽しめるかどうか・・・

私の方がもともと関心があったので、オッペンハイマーの来歴も少しは知っています。その中で、原爆の父の印象が強くて、研究者の姿にはあまり関心がなかったです。この作品は名前を冠しているだけに、主題は人物を描くこととわかります。個人としてどのような人物で描かれるのか楽しみでした。展開が早くてわからないこともありましたが、オッペンハイマーの原爆開発を後悔した姿や、水爆開発に反対したこと、共産主義者かどうか、研究所の人間関係も浮き彫りにしていたと思います。あえてですけど、(評論家でないから、どうでも良いかもしれませんが)魅力的な部分があまりみられず、人として数学、物理天才以外の興味が湧かないかもしれません。カリスマ性がどこかでわかりやすく描かれているといいかもとおもいました。

 

原爆の描き方、扱い方

これは多くの人がSNSでコメントしています。日本では落とされた側なので、関心があるなしに関わらず、被爆した現場を映像で知っている、悲惨さを肌で感じる人も多いと思います。

・投下後にスピーチする場面の熱狂ぶりは、正直ドン引きしてしまいます。映画館なので、態度には表せないけど、内心では寒くなってしまいました。ノーラン監督としては、アメリカ側のグーフィな感覚を描きたかったのかもしれませんが、やっぱりなうけいれにくいな。

・スピーチで「(原爆をできれば)ドイツにも落としたかった」は悲しく、恐ろしい。ユダヤ人ですし、それが最初の目的だったし。でも、この一言は振り返ると、後悔させる、いやもうすでに後悔していたかもしれない。

・候補地の絞り込みで京都に落とさないという決定も、判断した理由が個人的で安易すぎて、「そうだよな、落とす側だから、軽っ!」と思いました。

・水爆の開発でどこに落とすか議論した時、広島に落とすかと問われて、「(水爆だから)それじゃ目標が小さい」と恐ろしい一言。広島の原爆だって、事前に通告して日本軍の様子を見ることだってできた。悲惨さを察して、落とさずに解決する手立てを考えがないのね。

それでも、もう一回見てみようか

細かいことがわからないこともあって、もう一度見てみたいと思う今です。監督の作戦にやられたかもしれない。物理の歴史をわずかですが知っているだけに、物理や科学に関わる方は、掘り下げたくなる作品でもあります。

うちの奥さんは楽しんでいましたが、やっぱりわかりにくいといい、満足度はまあまあではないでしょうか。若い人も多かったけど、オッペンハイマーを知らない人は、予習をおすすめします。

 

映画の概要

https://pbs.twimg.com/media/FvUVt3hXgAAxP1H?format=jpg&name=900x900

 

 

気象庁訪問 気象庁三浦郁夫氏のご案内

気象庁訪問 

2024年3月27日 

東京都港区虎ノ門

 

2020年に大手町から虎ノ門に引っ越しこした気象庁の本庁舎を訪問しました。もともとここは港区の土地だったところを買い取って、港区と建物と共用しています。(港区のプラネタリウム、科学博物館、教育センター)

ご案内くださったのは、三浦郁夫さん(気象庁)です。館内の引率は田中さん(気象予報士。高校教師)、呼びかけは学芸大学附属中学校の河野晃先生です。

 

はれるん @気象博物館


私が初めて知ったこと:

〇天気図の前線はまだ手で描いています。

天気図の気圧はデータで送られて、スパコンでほとんど描かれていますが、前線など一部は人間が判断して手で描いています。また、シベリアの高気圧では、異常な値が示されることもあるので、判断してデータから削除することがあります。まだ、降雨予想に使われるレーダー雲の流れの予測も、人間の判断の方が正しいことがあります。

〇天気の記録はしなくなる。全国で機械観測がはじまる。

この3月で、すべての気象観測がロボットになり、目視による気象観測が、東京・大阪を除いて快晴か晴れなど、天気の記録をとらないことになりました。これまでは、日本中の気象台で目視で雲量を計っていました。注意するところは、天候の記録は取らないけれど、天気の予報はするそうです。

 

○全国自動観測がはじまる

気象台で行われてきた、人による観測が終わり、自動観測に替わることになりました。機械で観測できるものは残りましたが、意外にも天気(晴、雨、快晴、くもりなど)の観測が記録されないことになりました。雨が降っていることや、日射の強さは測ることができるのですが、雲量までは測ることはできないのです。

気温や湿度を測るセンサの上部にはファンがついていて、常に換気を行ってることを知りました。百葉箱も素通しのつくりで風通しがいいのも同じ理由です。換気が意味をもつということは認識していましたが、自動計測の装置であらためてわかりました。

風速計は超音波を使って計測していて、プロペラを使った風速計とともにあります。プロペラの弱点として降雪時に動かなくなるのだそうです。そこで、機械部分が少ない超音波計測をしていて、加え融雪のしくみもあるのです。

雨量計は意外なほどメカニカルな仕組みでした。0.5mm単位で測ることができますが、仕組みは「ししおどし」(鹿脅し)です。そのほかに、雨が降っているか判断だけできるセンサも別にあります。

雨量計 by 機械計測 @気象博物館

〇積雪の値が大きかったり、小さかったりする。

積雪はその土地の様々な条件があって、大きくなることもあるし、小さくなることもあります。観測所は地面が芝生が普通なので、アスファルトより積もりやすいことがあります。しかし、観測所の風が強いと、吹き飛ばされて降雪量は多いのに、積雪は小さいこともあります。ブリザードのある北海道では風で雪がなくなり、積雪がないときもあります。

 

ラジオゾンデ

ラジオゾンデは全国18か所で観測に使っています。時間はGMT (グリニッジ標準時)に合わせて毎日2回、9時と21時に観世界同時に行います。日本の場合、ほとんどが海に落ちるので、観測のセンサ部分は環境に配慮して海で生分解するプラスチックでできているそうです。高層の気圧、気温、位置を記録しています。

ラジオゾンデ@気象博物館

〇天気の知らせ方

旗→新聞→ラジオ→テレビ→インターネット(平成8年広報開始、平成14年予報開始)

通信網の発達は、気象の情報の質や量が上がってきました。例えば、地震計の情報は各市町村に地震計が設置されて、その情報を気象庁が一元化してあつめることができるようになりました。地震計の設置、管理には費用がかさむが、取り組みが広がり、それを共有できるようになって、情報の量、質が上がっているそうです。

 

 

〇ビックデータ

大型コンピューター(スパコン)は清瀬虎ノ門にあり、気象と地震では別に扱っています。

清瀬には、「東京管区気象台」と「気象衛星センター」、そして「気象庁情報基盤部情報通信基盤課システム運用室」という部署があり、そこがスパコンの面倒を見ています。

 

〇進路として気象庁にはいるには

気象大学校出身 15名/年 (むかしは女性は入れなかったらしい・・・)最近は大学の理系専門出身者も多く見られます。専門は気象ばかりでなく、天文もいて、物理・化学などの出身者もいます。採用のときの問題は物理で行っています。仕事では、物理として気圧や温度など、熱力学が多く使われています。全国で5000人の職員がいて、1000人が東京・気象庁にいます。

気象予報士

気象予報士の試験は合格率5%です。2000人ぐらい受験します。

火山のモニター @地震観測

〇気象の学習に求めていること

・大気の流れ・・・「どうしてこうなるのか」ということを考えるような学習を重点にしてはどうかと思います。大気の流れなどを大きく見て、今の天気がどうしてこうなるのか自分で考えられるようにしてほしいです。

 

・天気を学ぶ楽しさや意義・・・天気図を描いて、見て「未来を予想できる」のが気象の仕事です。中学で学ぶときに、自分で資料やデータを集めて、自分で考えることができるように指導してほしいです。そのため、天気図、レーダーなど基礎的な資料を見て、未来の天気を考える習慣が身につくと嬉しいです。

 

・天気にはずれがある・・・「天気がはずれる」と言われることがありますが、天気にはよく「ずれ」ることがあります。条件が異なっていて、時間が遅れたり早くなったりします、また、大気の流れによって、予想していなかった地域が晴れる所もあれば、雨が降ることもあります。山など条件が異なるので、当たらないこともあります。これらが「ずれ」です。それを考えるのが楽しいと感じられると良い学びになります。

 

・気象情報は平和の象徴・・・戦前、戦中の日本も経験したことですが、紛争がある地域では気象情報が封印されます。具体的には、北朝鮮やイランイラク戦争の時にデータが送られてこなくなりました。世界中が利用している気象情報ですので、それぞれの果たす役割は重要です。広大な地域を治める国や地域が情報を出さなくなると困ることがあります。

 

・ビアクネスモデルと低気圧の雲・・・現在使われている温帯低気圧はビアクネスモデルと言われているものです。低気圧の中心から南にある温暖域に雲がない図が見られます。これは明らかに間違いです。それでもなかなか教科書を変えるのは難しいです。新しい気象の情報と学校のカリキュラムとずれを感じます。

〇 最後のツアー・館内のご案内

三浦さんは気象大学校を出て、気象庁に入り、定年を迎えたそうです。広報、気象台長などを歴任されました。「天気予報」が「気象情報」に変化していく場にいつもいたのです。また中学校の教科書にも協力したそうです。その後、再任用ではたらいています。とうとう、明後日3月29日で再任用も満期となります。最後にこのツアーの案内をされて、「いい仕事が最後にできた」と言ってました。

<<ツアーで感じたこと>>

気象の最前線にいた三浦さんの生の声・解説は興味深いことでした。解説がとてもわかりやすかったです。まだまだ、いろいろなお話を伺いたいと思いました。今日だけでも、たくさんのことを教わり、授業に使えること、授業をどう考えたらいいか、やりたいことがいくつもできました。

 

気象庁 旧庁舎見学 20120803

2012年に一度気象庁を研修で見学しています。そのころは、部屋が狭くて、モニターが近くで見えました。印象として、地震の方が頻繁に地震が起きて、地震の部屋のあわただしさがありました。何かあると、班の皆さんが集まって震源などを判断していました。そのころは、まだ東北大震災の影響か、頻繁に地震があったかもしれません。