根津山の日記

日々の生活をまとめます。世田谷代田、理科教育、戦前の教育

2023-06-01から1ヶ月間の記事一覧

武田一美先生 経歴 (化学と教育 1994年の記事から)

理科教育に興味を持つ契機になったのが武田先生の教えです。武田先生には大学、都の研修会でおせわになりましたが、詳しい経歴については分かりませんでした。そのわからないパズルのピースがひとつ埋まった感じです。 武田一美先生 経歴 (化学と教育 1994…

大正期 烏山尋常小学校の卒業生の進路

東京の郊外の移住者が増え始めるのは、大正期空になってからです。郊外に電鉄が普及し始めて、都心に住んでいた住民が移住しはにめます。「大正八年度卒業生自動位調査表」(烏山尋常高等小学校)が残っていた。すでに京王電鉄が新宿から伸びていて、住民の…

OO2 女子大に訪問

T次郎先生にお会いした。 本をお借りしていたので、返却しに市ヶ谷、九段まで行った。 11時に待ち合わせ。ちょうど先生もきたころだった。 1時間おしゃべりをして、昼食にでかけた。 先生もがんばっているんな、と思う。それぞれ思い描いたことと少しずれて…

小学校の疎開先と移住先が一緒だった 4 (戦中の代田の子、児童の疎開先には代田さんが多い)

●守山尋常小学校は「代田」の学校 守山尋常小学校の疎開先が、長野県飯田市あたりの寺に分散していたことは先に述べた。私が移住を決めた旧鼎町は、鼎尋常小学校に疎開した児童を受け入れてもらった。 (余談ですが、平成の市町村合併で飯田市の周りにあった…

小学校の疎開先と移住先が一緒だった 3 (鼎小学校の資料から)

飯田に行き、飯田市立鼎小学校の「創立百周年記念誌」が手に入り、調べていました。理科、理科室については目ぼしいものがありませんでした。 ●疎開の様子 その中で、戦時中に鼎小学校が世田谷区守山尋常小学校の児童の疎開先として受け入れていた記事が見つ…

小学校の疎開先と移住先が一緒だった 1

思わぬことで、移住した飯田市と世田谷区に縁があることを知りました。 ここ半年ほど、東京の小学校について、戦前の記録を調べています。目的は小学校に理科室が設置される経緯が知りたいのです。そのようなことをしていると、副産物としてさまざまな東京の…

小学校の疎開先と移住先が一緒だった 2

自分の住む学区域の小学校が戦前に長野県に疎開しいたことを取り上げました。その疎開先が iターンで移住をしている飯田市、それも鼎や上郷、松尾などであったことに触れました。全く偶然ですから、私の移住とは関係ありませんが、資料を調べていくと、意外…

E大学附属中学校 理科授業 訪問

授業訪問 今日はA先生の許可をいただいて、E大学附属中学校へ訪問します。 この学校は小中高大とある都内の学校です。スタンスは教育研究を推進している学校で、意欲的な先生が指導しているというのた私の印象です。 今日はK先生(大学講師 教職課程)が同行…

「奉公」について知りました。

奉公という言葉は今では死語ですが、戦前の日本では多くの人たちが方向に奉公に出ました。(「出されました」の方が正確かもしれません。) 奉公は、学校など学業期間が終わって、家族から離れて子どもでもできる仕事に就くことです。明治から大正、昭和にか…

奉公とは

奉公という言葉は今では死語ですが、戦前の日本では多くの人たちが方向に奉公に出ました。(「出されました」の方が正確かもしれません。) 奉公は、学校など学業期間が終わって、家族から離れて子どもでもできる仕事に就くことです。明治から大正、昭和にか…

戦前の都心の小学校のようす(M先生にききました。)

昨日、#理科カリキュラムを考える会 に参加して、懇親会にも久しぶりで参加しました。いつもお見えになっている、大先輩のM先生に戦前の尋常(国民)小学校の様子を聞きました。 M先生は94歳になったそうです。昭和16年3月に練塀尋常小学校を卒業していま…

春分の日

春分の日 快晴 春分の日でした。これから夏に向かって折り返し地点です。 午前中はクローゼットの修理。ハンガーかけを直した。午後はずっと事務的なこと。理科教室や講師の書類を作成した。 洗濯、かたづけ ちょっと洗濯が溜まっていて、洗濯を済ませ、夕方…