根津山の日記

日々の生活をまとめます。世田谷代田、理科教育、戦前の教育

小学校の疎開先と移住先が一緒だった 2

 

自分の住む学区域の小学校が戦前に長野県に疎開しいたことを取り上げました。その疎開先が iターンで移住をしている飯田市、それも鼎や上郷、松尾などであったことに触れました。全く偶然ですから、私の移住とは関係ありませんが、資料を調べていくと、意外と身近なことが遠い昔で繋がっていることがあるのでした。

●他にもある世田谷と飯田の疎開の縁

そのようなことを書いたら、飯田市の知り合いから、「世田谷区と飯田市の小学校が疎開でつながっていたことが記事になりました」とお知らせがありました。「南信州」という地元紙です。そこでは、世田谷区の八幡小学校と飯田市の丸山小学校が疎開という縁で結ばれて、この二つの学校は戦後もんが続いて、3度も疎開した児童が飯田を訪れているのです。その縁を形にしようと、りんごの木の苗を2本植える話が載っています。りんごの木は1本が枯れてしまいました。一本だけになってしまったので、児童による模擬企業を立ち上げ、クラウドファンディングを募り、この度長野のりんごの苗を校庭に再び植えたことがわかりました。

疎開で縁ができた、八幡小と丸山小