根津山の日記

日々の生活をまとめます。世田谷代田、理科教育、戦前の教育

小学校の疎開先と移住先が一緒だった 4 (戦中の代田の子、児童の疎開先には代田さんが多い)

●守山尋常小学校は「代田」の学校

守山尋常小学校疎開先が、長野県飯田市あたりの寺に分散していたことは先に述べた。私が移住を決めた旧鼎町は、鼎尋常小学校疎開した児童を受け入れてもらった。

(余談ですが、平成の市町村合併飯田市の周りにあった、鼎町、上郷町、八幡町、座光寺町などは、「丘の上」と呼ばれる飯田といっしょに飯田市となった。地元の人に「飯田」に行くというと、市庁舎のある丘の上にいくことを意味することが多い。)

このかつての守山尋常小学校は世田谷町代田2丁目にあり、代田を学区域としていた。戦後は守山小学校であったが、統廃合して、移転し世田谷区立下北沢小学校に引き継がれている。)

●飯田には代田が多い

私は飯田に行く機会が15年ほど前からあった。そのとき、このまちには、「代田(しろた)」というな姓の人が多いなと思っていた。私は生まれてずっと「代田(だいた)」という町に愛着があったから、なんとなく親近感というか、この町は何か関係あるのかと思っていた。ただ、「しろた」と呼ぶので、呼び方が異なるので、個人的に気になる程度だった。以前は代田はもっと広い地域でしたが、現在では世田谷区北東に位置する狭い範囲になった。

今回の疎開のことで気になったので、ちょっと調べてみた。そうすると、この「代田」と姓を持つ人が長野県が一番多く、それも飯田市がダントツで多いのだ。ちなみに、昨年まで、この飯田市の教育長が代田さんでした。

 

疎開先はだれが決めたのだろう?

もしかして、疑念に抱くのは代田さんという人が守山尋常小学校との縁をつくったかもしれない?と妄想している。世田谷と長野県飯田市疎開で結んだのは誰だったのだろうか。もちろん、長野県飯田市疎開した尋常小学校はほかにあることも、先に触れた。おそらく偶然なのでしょうが、追究してみたくなる。なんとなく気になって仕方ない。

「代田(しろた)」さんは、長野県飯田市に多いのです。