根津山の日記

日々の生活をまとめます。世田谷代田、理科教育、戦前の教育

「奉公」について知りました。

奉公という言葉は今では死語ですが、戦前の日本では多くの人たちが方向に奉公に出ました。(「出されました」の方が正確かもしれません。)

 

奉公は、学校など学業期間が終わって、家族から離れて子どもでもできる仕事に就くことです。明治から大正、昭和にかかけては、小学校、高等小学校を卒業すると奉公に出されるのが普通になりましたが、卒業を待たずに「口減らし」で奉公に出されることがありました。それ以外に就学していない子どもが大勢いて、何も学ばずに子守や作男として農作業をしていました。

農村では、作男(作夫)といい農作業をする農夫のことをさしました。女子では、奉公に出されると、都内の良家に住み込みで働きます。嫁入りの「行儀見習い」として、料理や掃除など家事を賄うことになります。また、子どもの多い農家に行って、子守をすることが多かったようです。

 

参考:

ふるさと 世田谷を語る

代田、北沢、代沢、大原、羽根木 

平成9年(1997年)3月

世田谷区生活文化部

 

 

私の記憶でも、祖父の家や前田家、岩崎家などの貴族・富裕層の邸宅には住み込みの住む部屋がお勝手口の近くにありました。