根津山の日記

日々の生活をまとめます。世田谷代田、理科教育、戦前の教育

土門拳記念館に訪問

土門記念館訪問 20240315

はじめて酒田市に来ています

新潟県柏崎市の佐藤さんのFBに土門拳記念館について紹介があり、土門拳がみたくなり休みをとって来ました。久しぶりに夜行バスに渋谷から乗りました。少し疲れますね。酒田市に来るのは初めてです。それよりも何よりも山形県に来るのが初めてだと思います。福島県会津までは来たことがあります。思ったよりも遠いものです。

土門拳記念館

思い出の作品

15歳頃でしたが、「筑豊のこどもたち」や「こどもたち」や「風貌」、「古寺巡礼」、「棟方志功」などが学生時代に図書館で引っ張り出して、眺めていました。「筑豊のこどもたち」はとても心に焼きついています。「古寺巡礼」は室生寺です。何か絵葉書の印象が残っていて、旅行で行くたびに、記憶のどこかにある土門の作品を重ねてしまいます。古寺巡礼を雪景色を最後に撮って、全てを終わらせたことを知りました。

新たに知ったこと

土門拳の背景や生い立ちについては知りませんでした。ちょっとメモしておきたいです。

・1909年山形県酒田市で生まれて、7歳に東京に引っ越し、その後横浜に移り転々とする。

・神奈川県立第二中学校(現横浜翠嵐高校)に入る。経済的に苦しくて、1年で退学しようとしたが、先生から退学を止められた。このころ、生徒の半分は途中退学するくらい、自主退学はめずらしくなかった時代。よほど存在感あったのだと思う。

・10代では画家にを目指していて、17歳で横浜美術展覧会に「薔薇」の油絵を応募して、入選していた。主催は安井曾太郎

・19歳で画家志望をあきらめた。

・1933年宮内幸太郎の写真場に内弟子として住み込み、写真の基礎を学ぶ。

名取洋之助が主宰の「日本工房」に入社し、報道写真家として1935年〜1938年まで活動する。名取洋之助とは作品の権利で対立して、退社してしまう。

・戦後に独立している。

 

土門ってどんな写真家か (感想)

報道写真家としての「リアリズム」を追求したこと。

芸術家、画家的センスで撮影した。肖像の数も多い。油絵を描くこともあった。

スナップ写真では演出を絶対にしない。(戦前のプロパガンダ作品を反省した。)

仏像の撮影では、他のプロでもできない撮影を試みて、仏像に迫ることができた。特にライティングにたいへんこだわり、他人に任せることができず妥協を許さなかった。

土門拳記念館(設計 谷口吉生