根津山の日記

日々の生活をまとめます。世田谷代田、理科教育、戦前の教育

教えない「教える授業」ーすぐれた教育の実践に学ぶー 第3章から 「対話について」

教えない「教える授業」ーすぐれた教育の実践に学ぶー 

佐久間勝彦 著(一莖書房)より

第3章 教えない「教える授業をつくる

 

この本の主張は第3章に集められていると思う。平成二十九年度告示の学習指導要領で改訂の基本方針として、「主体的・対話的で深い学びの実現に向けた授業改善」を掲げた。佐久間はこの基本方針について丁寧に自分の考えをまとめ、吟味している。

例えば、「対話的学びとは何か」について次のように解釈している。

ただのおしゃべりや対論とは違うと言う。

「話し合い」として括られる活動には、対話のほかに会話・対論などがある。 「対話的な学

び」というのは、「会話的な学び」とは違うであろうし 「対論的な学び」でもないだろう。 類

似する他との違いを明示しないと、「対話的な学び」はどこに向かって行ったらいいか道に迷

う。うすっぺらな話し合いに堕していったり、意図を違えた方向へと進んでいったりしかねな

い。

平田オリザ氏の「対話」を引用し、

会話=価値観や生活習慣なども近い親しい者同士のおしゃべり。

対話=あまり親しくない人同士の価値観や情報の交換。あるいは親しい人同士でも、価値

観が異なるときに起こるその擦りあわせなど。

哲学者中島義道氏を引用し、

「対話」は一人ひとりの「抱く意見の『小さな差異』 を確認しながらゆっくりと忍耐強く進む」と、静穏に進むその場の空気に目を向ける。また「自分の固有の状況・体験・感受性をまるごと引きずりながら、しかも客観的真理を求めて語り出」していくと述べ、「自分」を大事にしながら思索を大きくひらいていく内面にも目を注ぐ

をあげている。そして、中島氏の12の対話の原理のうちから、、

○相手との対立を見ないようにする、あるいは避けようとする態度を捨て、むしろ相手との対立を積極的に見つけてゆこうとすること

自分や相手の意見が途中で変わる可能性に対して、つねに開かれてあること

の2つを取り上げている。