根津山の日記

日々の生活をまとめます。世田谷代田、理科教育、戦前の教育

「較べること」 露木和男 の言葉から

安心すること、較べること

露木先生の講演から

気になる「較べること」

 1月21日日曜日、逗子の理科ハウスで開かれた、露木和男先生の講演会に参加しました。二階堂さんからメールでお誘いをいただとて、すぐに行くことにしました。とてもいいお話で感銘することも多く、メモがいっぱいになりました。ひとつ紹介します。

ーーーー<<memoから>>ーーーー

授業には「驚き」や「感動」の存在すること

出会いの<<場>>が用意されていること。

 

授業には、矛盾があり、その矛盾を超えて、何かの見通しができること。

(矛盾を乗り越えるのに)子どもの力を信じること。

この授業は弁証法といえる。テーゼとアンチテーゼがあり、正しいことは何かを証明していく。

予想が大切である。

 

「共に創造していく授業づくりをめざす」(創造の原理)

夢中になる、没頭することを大切にしている。

そのとき「成長できた」という子ども。

 

勉強でも、課題の活動でも、「集中」と「夢中」は何がどう違うだろう。

集中

夢中

目標が達せられたら終わり

没頭すると終わりがない

終わると疲れる

疲れを知らない

 

露木は「授業を創造する」の条件を10あげた。
1 安心
2 喜び
3 感動、驚き
4 考える
5 知る
6 汎用可能
7 仲間
8 幸い
9 意欲
10 意欲

 

授業が「楽しい」が根底にあるべきである。

これらの中で、最初に挙げているのが「安心」である。子どもが安心を感じられるのは、
・比較されない
・受け入れてもらえる
・仲間や先生に人間として「存在」を認めてもらうこと

2番目は喜びである。

子どもとって「喜び」とは
・「できた」という自分の能力が発揮できること
・「わかった」という新しい世界が見えること
・ これまでにない経験や体験があること

 

授業に「失敗しても許される」ことが基盤にあること。

ーーーーーーーーーメモーーーーーーー

露木先生は最初に安心をあげていました。安心には「比較されない」ことが要件であると最初に訴えています。これは達見と感じました。これには久しぶりに突き刺さりました※。多くの場で「較べない」ことの難しさも示していると思います。ここ数日、較べることが頭に残っていました。

(※私の経験でも、夜間学級で忘れられないことがあります。)

今年の研究テーマ

1月が終わる前に、今年の研究するテーマを絞って取り上げておこう。

興味のある理科教育については継続することを基本にしました。

 

●理科教育に関する研究(個人)

(1)個人研究

1 理科教育史

2 理科の探究活動とは何か

3 ものづくりとSTEAM教育

4 理科教育法 理科の授業づくり

 

この4項目にしましたが、これでも多いと感じています。

その他、個人的な依頼がすでに来ています。

 

(2)理科教育法

学生30名 集中講義 8月末 1週間

 

(3)大学の講演

1 理科教育史を授業に活かす 5月

2 おおかみが戻ってきた (イエローストーン国立講演) 6月

3 ファラデーとクリスマスレクチャー (理科の普及啓発活動の視点から) 7月

 

●科学の普及活動

(1)江戸川区科学教育センター (橋本先生の依頼)

1 小学生向けの理科実験 (テーマ未定)

2 中学生向けの理科実験 (テーマ未定)

 

(2)小学生向け 自然科学教室 

1 (テーマ未定)

 

(3)活動の支援

ア せたがやだいた自然科学教室・・・5人の体制で動くことを念頭に置いて活動

イ おもしろ科学工房    ・・・理科実験ミュージアムは方針あり。

ウ 飯田市少年少女発明クラブ・・・運営が軌道に乗り始めた

 

 

航空機事故と学校の避難訓練

羽田空港の事故で全員脱出できたことは奇跡でしたね。
よかったと思います。
航空会社の不断の努力のおかげです。それを勇気ある自らの判断を加えて待避させた結果でした。
加えて書かれているのが、乗客の対応でした。おちついた行動があってはじめて早い避難が可能になります。元CAの方が強く言っていました。
 少し飛躍がある、身びいきも含めていると思いますが、
学校教育の貢献もあったのではないかと考えています。
避難訓練は年間計画で決められ、無条件で必ず月1度行わなければならいのです。授業が最後の5分ほど削られ、土足に履き替えず校庭に避難し、上履きが汚れ、教室が泥で汚く、その大変さがありながら、愚直に繰り返しています。
「おかしも」という合言葉。声を上げない、押さない、かけない、戻らない、これらの自制を求める行動、子どもの頃から毎月必ずある学校の避難訓練。染み付いた行動様式が今回の発揮され、荷物も持たず避難を最優先する行動はここからきていると思うのです。
学校の貢献があまり取り上げられないのは残念ですが、ひごろの活動が結びついていると思えるのです。
この事故が次のステップとして、学校の避難訓練に生かされて、フィードバックがかかるのです。
今後は個々の学校・教室で、避難訓練のときに、多くは知らず知らずのうちに先生からの話で、この事故が教訓として生かされていくと思います。
それが繰り返され、次の災害、次の事故で命を救うように思います。

はじめての行動管理 生活指導 (イギリスのブログから)

 

Caren Hornby

 

初めて教壇に立つことを楽しみにしている人にとって、行動管理はしばしば専門家としての能力開発の最初の分野のひとつとなります。

学習のための行動管理」オンラインコースでは、私たちがコントロールできるのはたった一人の人間の行動だけであり、それは私たち自身であることを認識することの重要性について掘り下げていきます。 このことを理解すれば、私たちが心の中でどう感じようと、子どもたちがどんなに私たちを挑発しようと、私たち自身の行動をコントロールしなければならないことは明らかです。 自分の行動をコントロールするということは、大声を出さずに冷静でいること、顔をしかめたくなるようなことがあっても微笑むこと、生徒たちが私たちにふさわしいと思うような敬意を示してくれなくても敬意をもって接することを意味する。 

しかしこれは、生徒が容認できない行動をしても放っておくということではありません。 もちろん、私たちは生徒たちに、その行いが招いた結果を直視するよう求めます。 しかし、私たちが期待に応えているときでも、冷静かつ思慮深く行動する必要があります!

この態度は、良くない行動が私たち個人に向けられたものであることはめったにないことに気づけば、かなり楽になる。

学習者が何を投げかけてきても(文字通りの意味でなければいいのだが)、冷静さを保ち、コントロールできるようになれば、生産的な仕事関係を築くための強力な土台ができる。

言い換えれば、私たちが一貫してこのように振る舞えるようになれば、効果的な指導と学習に必要な、互いに尊重し合える仕事上の関係を作り始めることができるのです。 つまり、生徒の行動をコントロールすることはできないが、その代わりに自分自身の行動をコントロールすることに集中すれば、一緒に働く若者の行動が改善されるだけでなく、学習も改善される可能性が高いのである。

参加する
この問題や行動管理の他の側面について、またこの難しい問題に取り組んでいる全国の教師の経験についてもっと学びたい方は、「学習のための行動管理」コースにご参加ください。 この自習型オンラインコースは、募集開始日以降いつでも予約可能です。

このコースでは、あなた自身の行動が生徒の行動にどのような影響を与えるかを探り、教室で接する際の感情的な反応をコントロールする方法を学びます。また、学級経営における以下のような幅広いテクニックを学びます: 

- 償いと修復の実践 
- 一貫性を持たせる 
- 迂回と拡散 
- スクリプトによる介入 
- 積極的な行動を正しく評価する 
- 教室での信頼関係を築く
このコースは、教師、ティーチング・アシスタント、サプライ・ティーチャー、新任教師、研修教師、その他、初等・中等・高等教育(5~19歳)の青少年教育に携わる方々を対象としています。 ぜひご参加ください。

エアコンの故障 工事業者に感謝

■■ エアコンが故障

エアコンがこの猛暑の中、とうとう調子が悪く、ときどきストップしてしまう。特に、帰宅後猛暑の部屋で運転を始めると、動き始めは勢いよく冷たい風を噴き出すのだが、数十分もすると何も音も出さず、静かになって止まってしまう。異常を知らせるランプが点滅しているのできがつく。リモコンでスイッチを一旦切って、再度スイッチを入れると、点滅して動かない。

運転が安定していないので、一度コンセントを抜くと、リセットがかかり、再度運転が始められる。でも、また運転が30分くらいで止まるのだ。とにかく、急速な運転はダメである。

家を建てて、16年になるが、とうとうエアコンの取り替えを決心した。建築会社の大久保さんに連絡をとって、設備会社ときてくれることになった。見積もりを送ってくれるのだが、値段がいくらになるか、すこし構えていたら、思ったほど高くなくて、工事費を込みで22万円。ちょっと出費は痛いが、熱中症になるのは勘弁だ、即決で相見積もりせず、工事を依頼した。来週8月28日月曜日に来てくれる。対応して急いでくれた、大久保さんに感謝。

飯田市 浄土宗法蔵寺 を訪ねました。

昨日法蔵寺を訪ねました。

今年になって、鼎や松尾と世田谷区代田にある世田谷区立守山小学校とが、戦争中昭和19年から20年に集団疎開で繋がりがあることがわかりまいた。

長野県と世田谷区の小学校の多くは戦争中に集団疎開の地域として関係がありました。

法蔵寺は飯田市鼎地区にあります。守山小学校の集団疎開の本部としての役割もありました。

 

小学校1年から6年までの数百人の児童が疎開してきました。

法蔵寺を訪ねてみると、たまたま住職さんがいて、お話ができて、中に通されてお堂の中も拝見することができました。

法蔵寺には130人ほどいたそうです。

寮母が6人ほどいたそうです。先生が3名ほどいました。本堂、厨があり、そこに集団生活をしていました。仏様の周りに布団を敷いて寝ていたそうです。

厨には、大きな釜と鍋があり、ご飯と味噌汁を130人分ぐらいできたそうです。給食の鍋のようなものだそうです。

集団疎開の子どもを預かったのは現在の住職の先代の方です。

現在の住職は兄弟9人いて、末のお子さんだそうです。昭和20年生まれで、体験として集団疎開のことは覚えていないですが、話はいろいろ聞いています。27歳で住職になったそうで、戦後にしばらくして守山小学校の児童だった人が13人東京から再訪されたそうです。みなさんには懐かしさがあったそうです。世田谷区の職員の方がしばらく一人で毎年法蔵寺を訪ねていたそうです。

お寺に疎開の頃の名残は、鐘塔、石垣、階段などです。お堂もだいぶ立て替えたそうで、厨は新しくなりました。寺の周りは、ほとんど家がなくて、少し下がったところに3軒ほど家がありました。お寺のとなりは、伊那線(私鉄)で今のJR飯田線がすぐにあります。列車の音がすぐそこで聞こえます。北側の窓には鬱蒼とした竹林があったそうで、そのうしろには太い幹の杉が3本立っていたそうです。そこにはお墓があって、子どもたちはそこで遊んでいたそうです。

本尊の3体ある仏様の本尊の阿弥陀様は昔のままだそうです。仏様の後ろの祭壇は昔のままだそうです。

先代の住職は疎開してきた子どものために米を買い出しに行ったそうです。遠くは飯島町あたりまで出かけたそうですが、途中で、警察がヤミ米を取り締まっていて、泣く泣く米を捨てたり、置いてきたりしたそうです。とにかく食べるものを確保するため、地元の住職自ら動いていたようです。夜になると、紙芝居をして面白い話をしたそうです。

 

長野の人の人情が伝わってきて、私は胸がいっぱいになりました。

 

 

 

守山小学校から戦後に寄贈された写真です。かつての面影があります。

 

法蔵寺 山門

 

 

 

積み残した教科書

 

昔は授業で教科書を全部取り組むことはまれだった。持ち越し、積み残しは普通だったのだ。

昭和のころは、先生はそれほど見通しをもって授業を計画していたのではなく、適当に授業を進めて試験で辻褄を合わせているというのが実態だった。今でも、そのようなことは散見される。

 

教える方法もあまり上手ではなかったが、それでよかった。魅力的な先生であることが大切だった。個性的で、それぞれで存在感がある先生がいたし、それはそれでまわりも認めていた。

 

しかし明らかに、窮屈になった。

 

タブレットが導入されて久しくなる。おそらく日常化する。そして、魅力を失うのだ。当たり前になって、すこし型落ちしたタブレットはお荷物にだんだんなるだろう。当たり前になってしまえば、魅力を失い、他に関心がいく。

 

壮大な社会実験・・・一人一台端末。これを世界は興味深く、どうなるのか横目で見ている。このような国家レベルで社会実験している例はほかではない。海外で一斉にタブレットを配るなど考えられないから、どうなるのかと思っている。シンガポールや香港、台湾など小国なら別だが。

 

★ 最後は先生の魅力ある授業に戻るしかないだろう。1時間、惹き込むような話、興味をそそる発問、課題、鮮やかな提示、みんなでやる楽しい活動やレク、それはどんな指導法にも勝るお多くの人は感じている。

 

見通しばかりもとめ、多くなりすぎた単元は整理すべきだろう。生物ではすでにパンクしている。では、どのように教えていけばいいのだろうか。それは簡単だ。大切なことから教えればいい。その発達段階にふさわしい内容で、面白いこと、先生が教えたいこと、それを続ければいいだろう。

 

タブレットはいずれ、一人一台が当たり前になるので、個人で選ぶ時代になるだろう。ほしい人は上級のもの、あまり必要のない人は廉価なものを選べばいい。所詮は文房具と辞典、計算機程度になるのではないか。