教えない「教える授業」ーすぐれた教育の実践に学ぶー
佐久間勝彦 著(一莖書房)
第3章 教えない「教える授業をつくる より
佐久間氏の主張
・アクティヴラーニングやコーチング、ファシリテーターという教師の授業で果たす役割について、また、法則化という授業を一般化、などに疑問を投げかけ、否定し、深く切り込んでいる。
・対話ということを、会話、対論と比較し、対話の意味を深く掘り下げ、重要さを認識させてくれる。
・日本のするれた実践を否定するのではなく、活かす姿勢を求めている。それは、かつて、綿引弘文、武田常雄、齋藤博喜など、優れた実践には「教えない授業」がすでに存在していた。
「あとがき」から
子どもの未来を見据えて冷静沈着に教育の在り方を考えるとき、何よりも心を砕かなければならないのは、教師が教えることの「質」であり、子どもが学ぶことの「質」である。豊饒さを誇る「授業といういとなみ」に拙著が目を啓く一助を果たすことになれば、この上もない幸せである。
感銘を受けた文章
武田常雄の実践は、授業を展開するにあたっては、とことん教材研究を行って教材の解釈を深め、特に発問については厳しく考える。
積み重ねたのは練習ではなく稽古であった。齋藤喜博は、「そのときどきの教材や自分や子どもたちの高さに応じて、そのときどきの教材や自分や子どもと衝突しながら、そして眼前の子どもたちにむきあって、自らの方法を生み出そうとする稽古の気構えが欠かせない。」
優れた問いとは、①わかりやすさとわかりにくさが混在している。②わかりやすい部分を踏み台にして、わかりにくい部分に挑戦する
わかってきたこと
教える「教えない授業」の本質的な部分を感じた。
一回、一回の授業に真剣で新鮮な気持ちで向き合う。一般化しない態度が見て取れる。
とことん教材研究を行って、発問についてはとても深く考えて、厳しくのぞむこと。
これから、自分の判断の言葉として、
「受験、学習指導要領などを抜きにして、学習する意義を子どもが感じるような授業にすることができるか」を問うのである。そこには、「学ぶべき教材である」という教師の授業観が自らの言葉で積み上げていく、稽古の気構えが求められている。
<<参考>>
第3章の構成
- コーチ ー大切な人をその人が望むところまで送り届けることー
- 「握る手」の主体性と、「握り返す手」の主体性
- 視覚に障害があるランナーに伴走できる人は、フル・マラソンが走れる人です。
- 好きでしょった荷物は重くない ー 綿引弘文実践に教えられるフィールドワークの楽しさ
- 対話的学びをはぐくむ ー 「会話」でも「対論で」でもない「対話」
- 「教える」から身を退く、「教えない授業」「教える」に迫る、「教えない授業」
- 武田常雄が「教えない」授業のなかで、教え磨いていること
- 齋藤喜博と向山洋一 ー 稽古に生きる人・練習に生きる人
- ナビゲーター ー さまざまな見方を引き出す「問い」を武器に、教材の核に迫る